daydream


「違うんですよ、彼女とは別に特別親しいわけではなくて、これはほんの礼儀の一貫で……」

「なんだ、ようやく貴方にも私以外にかまってくれる相手が見つかったのかと思って他人事ながら安心していたのに」

「……全く、あなたは本っ当に可愛くないですね」

「可愛くなくて結構。ほら、可愛い令嬢への手紙の続きをどうぞ」


まるで下劣なものでも見るような蔑んだ視線を攻撃的に向けて、大尉は自分の仕事机についた。
憤然とした様子で書類に目を走らせ、羽ペンをやおら忙しなく動かし始めたのを見て、俺は苛立たしいやら、嬉しいやら、妙な気持ちになった。

経緯はこうだ。俺は先日催されたサロンで親しくなった女性に、社交辞令程度の手紙を書いていた。
海賊による被害報告の書類の山の影に隠れてペンを走らせていたが、ふと背中に気配を感じたときには彼が無表情にじっと俺の手紙を覗き込んでいた。外に出ることなく、一日机に向かう仕事をするためか、今日の大尉は堅苦しい軍服ではなかった。オフホワイトのブラウスに黒いジャケットを袖を通さずに羽織っていて、その所為もあってか、俺は今日に限って彼との距離を近く感じた。もちろん、物理的な距離ではない。
大尉の瞳が、どことなくもの言いたげな気がした。その目は「口には出せないけど悟ってくれ」とでも言っているように見えた。

さて、一体何を? 仕事をサボるな。全くくだらぬくどき文句に長けている。

まぁいろいろ考えられるが、俺に都合のいいように考えれば……女性へのラブレターを書いている俺に対する嫉妬、とか。今の彼の怒っているらしい様子から判断して、それもあながち間違いとは言い切れまい。
そう考えるとあんまりかわいいものだから、ついからかいたくなって、恋人に浮気現場を目撃された男のような態度をとってみた。だが思いのほかあっさり返されたもので、わかっていたはずなのに俺は密かに落胆した。彼がまさか可愛く拗ねたり、潤んだ瞳で睨みつけたり、なんてことあるわけないのに、なぜだか俺はほんの少し期待していたらしい。


「あーあ、人の気も知らないで……」

「何?」


大尉が顔を上げた。
意外だ。反応してくるとは思わなかった。
うん、やっぱり、チャンスか?

俺は焦燥隠しきれぬといった風を装って乱暴に立ち上がり、驚いた顔をしている大尉の腕をぐいと掴んだ。突然の横暴を払いのけることもできず、大尉は俺に促されて不安定な姿勢で立ち上がった。



「わからないんですか? 俺は、貴方が好きなんだ」

「ロックウェル、何言って……」

「別にあなたが俺の気持ちをどう推測しようと、貴方の気持ちが俺にないのなら、何の意味もない。だが貴方はわかっているのでしょう。俺がどんなに貴方を好きか。それであんな態度をとるわけだ」

「……違っ……」

「何が、違う? 貴方はひどい人だ。あぁ、もう何も言わないでください。俺だって言われずともわかっているんですよ。この気持ちは俺の心のほとんどを占めているというのに貴方には全く不要なものだし、むしろ迷惑ですらある。そう、迷惑だとすら思っているんだ。それならさっきの貴方の態度にだって説明がつくでしょう。そんな風に思われるのってどんなにつらいか、貴方にはわからないでしょうね。何しろ私が貴方を思う気持ちはそれこそ一人の人間が抱えるには膨大すぎるのだから。いえ、もう十分だ。これでも結構傷つきやすいんです」


俺は諦観の念を滲ませながら深く息を吐き、固まっている大尉を座らせた。
大尉は驚きで抵抗することすら忘れているのか、俺に為されるがままにすとんと椅子に腰をかけた。

しかし、俺にこんな恥ずかしいことが言えるとは。ずっと胸に秘めてきた思いを、こんなタイミングでぶちまけてしまった。ほら、大尉も相当に驚いていつもの険しい表情を崩している。心なしか目もうるうるしちゃって、やっぱり大尉は面白い。

……とは言っても、そんな大尉より明らかにさっきの自分の台詞のほうがとち狂っている。
俺は途端に羞恥がこみ上げてきて、大尉に背を向けた。そのときだ。突然、背中を押され、前につんのめりそうになった。違う、抱きしめられている? 誰に? 俺は状況がつかめなかった。


「馬鹿ッ……言いたいことだけ言って、終わりかよ!?私だって、私だって……こんなに貴方が好きなのに!」


振り向けば、大尉が涙に濡れた瞳で俺を見上げていた。
あれ? 大尉って、俺より背低かったっけ……。

だがそんなの今はどうだっていい。彼の言葉を聞いたか? 俺を好きだって!

俺は細い大尉の体を抱きしめた。力を込めれば温もりはこんなにもリアルだ。


「大尉……」

「ロックウェル……」


俺は極自然に大尉の頬に手を添えた。そしてそのままキス……なんて上手いことが行くか? いや、行かせてみせる!
大尉の唇が近づく。これは夢か? 大尉の濡れたような艶めく唇、俺を見上げる潤んだ瞳、上気した頬は夢か? いや、夢じゃない、夢じゃない。夢じゃないなら、キスさせてくれ! いや、もう夢でもいいからキスしたいんだ!
勢い余って俺は思い切り大尉に頭突きをかましてしまった。


「いってぇ……大尉、意外と石頭……」

「……はぁ?」


額の痛みに思わず眉間を押さえた手を外すと、目の前にあるはずの可愛い大尉の顔が無い。
視線を落とせば、机の上の書き途中の書類が俺の頭突きの所為で皺ができていた。
本物の大尉は、少し離れた机から訝しげに俺を見ていた。

窓から差し込む光が部屋全体に心地よい暖かさを落としていた。だが俺を見つめる大尉の眼差しは氷点下で、全然心地良くない。俺は意識を覚醒せざるを得なかった。


うたた寝……? マジかよ。


……受け入れたくないが、俺に向けられる軽蔑の瞳はさっきまでの夢の中なら有り得ない。現実の大尉は極寒だ。


「……あぁ……だよなぁ……。うまく行き過ぎると思った。……あぁー!! もうマジ最悪!! 期待させんなチクショー!」

「閣下、ロックウェル殿がうるさくて仕事に集中できません」

「む、ロックウェル。水持って廊下に立ってろ!」

「なッ……え? み、水!?」


現実は厳しい。
手のひらに持たされた(?)水が蒸発したんだかこぼれたんだか、なくなってしまったところで部屋に戻れば、大尉は「あれ? 君何してたの?」と言わんばかりの視線で俺を見やがった。でもそんな薄情なところも大尉らしくて、落胆のため息とともに思わず口角が上がってしまう俺は相当末期だろう。

……何にしたって、氷は溶けるものだ。

俺が席について仕事に取り掛かり、高く上った日が積み上げた書類を白く射るほどになったとき、大尉がペンを置いて一仕事終えたとばかりに大きく息を吐いた。


「そろそろ昼でも行こうかな。ロックウェル、お前はどうする」


両手を後ろに突っ張って気持ちよさそうに伸びをしながら、大尉が言った。